もし子供がいなかったら。

最近寒くて、なんとなく気分が落ちてしまうような日が続いています。


先日、息子があまりになんども約束をやぶるので、

ノートに息子への馬事雑言を書きなぐっておりましたところ笑

(直接は言えないこともありますので…^^)


子どもとはいえ、あまりにも甘えた態度の息子に対して

だんだんと冷静に、「これは人として、ひどすぎる」と感じてきました。

もし、ほかのコミュニティでこういう人がそばにいたら、こんな何度も約束を破るような人とは付き合いをやめたくなるな、と思ったのです。


なので、そのあと息子と対峙したときに、

多分初めて「そういうところ大嫌い!」と言いました。

母親としては×なのかもですが、その時は一人の人間として、彼を見ていたというか。


多分、母親の眼鏡をかけている段階では、

「親として、彼のダメなところも赦して受け入れなくては」

とどこかで思っていたのでしょう。

その眼鏡が、冷静に自分の気持ちを書いたことで一瞬外せたのかもしれません。


すると、息子も

「俺だって大嫌い!」と言ってきたのです!!

多分初めてです。


じゃあお互い嫌い同士で、いいじゃん!となったあと、

なんだかすごくすっきりした気持ちになりました。


”よき理解者”としての母親の眼鏡をはずしてしまったわたしは、

もうお互い嫌いなんだし、みたいな感じで、言いたいことずけずけと言えます。


もしかしたらそれによって、息子は心が傷つくのかもしれませんが、それはこちらが仮に優しく包む存在を演じ、いくら気遣ったとしても、傷つくことはありますし、コントロールできるものではありません。

そもそも、親のうわべの言葉よりもその奥の姿勢をきっとこどもはよーく見ているのでしょう。




私は基本的に、昔から「子供が苦手」なほうです。

一緒に遊ぶとかできれば避けたいですし、同じ年代の人といるほうがずーっと楽です。

ですが子供を産み、母となりました。

なぜわたしは母になることを選択したんだろう。と考えてみても、

理由などはいくら探しても、本当になくて。


仮に、子供を産まないことを選択して、20代30代仕事に打ち込んだとしても、

キャリアにある程度ゴールが見えてきたら、

おそらくまた子供を産むことを考えていただろうと思います。


子供を産むということは、その後自立するまでの20年近く、お金も時間もそこに費やすことになりますよね。なかなかの覚悟がいります。

それでも、わたしはいつかきっと彼らを産むことを望んでいただろうな、ということだけは

確実に思えるのです。


それはなぜなのか、ということを考えてみました。

母親になりたかった?

自分の血を引き継いでいきたいから?

自分のこどもが成長していくところを見ていきたいから?


ですが、いくら考えても、私がたどり着いた答えは、



単純に


ただただ


子供たちに


「会いたかったから」。



それだけしかないということに気づきました。


つまり彼らが生まれた日、わたしの目的はすべて達成されてしまっていた。


誕生したその瞬間に彼らは一生分の結果を出し、一生分の親孝行を済ませ、

わたしは彼らの存在そのものに一生分の感謝を済ませてしまったんだ。


だからあとはもう、残りかすのようなもので笑

もう何も求めなくていいんだ、と思ったらなんだか楽になりました。


これからも約束を破ったりされるだろうけど。

腹立ったり、喧嘩ばかりの日々がこれから続くとしても。

淡い期待を裏切られ続けたとしても。


わたしはあなたに会いたかったんだ。

ただそれだけだった。


このことは、ずっと忘れずにいようと思います。

先日訪れた鎌倉。

海に行くとイキイキと遊んでいたなあ。